ウラジオストックの旅

第一次世界大戦中に起こったロシア共産革命に対する干渉作戦として、日本軍が1918年から1922年まで出兵したウラジオストックに、当時の歴史を訪ねたいと34日の旅に出かけました。

ウラジオストックは極東の軍港として長く閉鎖された町でしたが、ソ連崩壊後は、閉鎖都市指定が解除され一般に開放されました。20129月にはルースキー島でロシアAPECが開催され、首脳会議の会場となった町です。

ロシア政府はAPEC開催に備える形で、ルースキー島連絡橋の建設やウラジオストク国際空港の改修を行うなど、大規模な開発が進められております。

2012年に完成した「金角湾黄金橋」です

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ニコライ皇太子凱旋門1891年ニコライ皇太子(後のニコライ二世)が日本を訪問(大津事件あり)して、シベリア鉄道起工式のためウラジオストックを訪れた際に記念碑として建設されました。この凱旋門は1920年にソビエト政権により破壊されたが、ソ連崩壊により2002年に再建さ。れました。
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第二次世界大戦の戦没者慰霊碑です
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無名要塞と言われている要塞です。山の上に構築され湾に向かって砲台が据え付けられていました。
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横浜正金銀行の建物で今は博物館となっています。一階には見慣れた「金庫」が置かれていました。また、町には「二葉亭四迷」が滞在したところ、日本の商店・日本人小学校・日本総領事館・本願寺跡などなど日本に関係のあった遺跡が散在していました。(往時の面影のみられないものもありました)
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学校の校庭には「与謝野晶子」の碑や仏像がありました
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第一次世界大戦中に活躍した日赤の看護婦さんたちです。ここを経由して欧州に向かったそうです・
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ウラジオストックの駅舎です1912年に建設されたネオロシア様式の駅舎です・
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シベリア鉄道の起点標識です。ウラジオストックからモスクワまで9288キロ(5泊6日の列車の旅)です。「与謝野晶子」はこのからシベリア鉄道に乗り「鉄幹」の後を追ったのでした。
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by jopparit | 2017-07-29 22:02 | | Comments(2)
Commented by suirenn2 at 2017-08-15 10:02
おはようございます。
興味深くみせていただきました。
ウラジオストックとい地名の他は何も知らない所なのですが、
日本との関りがいろいろとあった街なのですね。
そうした日本的な遺稿が残されていることには
好ましい印象を受けます。
過去の歴史を踏まえながら友好関係を築いていくように
いまこそ世界はそのことが求められていますね。
Commented by jopparit at 2017-08-24 13:54
すいれんさん
コメント有難うございました。
ウラジオストックはロシアの東洋の門と言われており、ロシアの固有文化と東洋の文化が織りなしており、なかなか興味深い町でした。
特に、日本が一時統治したまちで、かっての日本の影が散見されており、なんとなく親しみのある町でした。
シベリア鉄道の起点であるウラジオストックの駅のホームにたち、ここから熱血歌人「与謝野晶子」が「鉄幹」を慕って旅だったことに想いを馳せたときの感慨はひとしおでした。
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