ウラジオストックの旅
第一次世界大戦中に起こったロシア共産革命に対する干渉作戦として、日本軍が1918年から1922年まで出兵したウラジオストックに、当時の歴史を訪ねたいと3泊4日の旅に出かけました。
ウラジオストックは極東の軍港として長く閉鎖された町でしたが、ソ連崩壊後は、閉鎖都市指定が解除され一般に開放されました。2012年9月にはルースキー島でロシアAPECが開催され、首脳会議の会場となった町です。
ロシア政府はAPEC開催に備える形で、ルースキー島連絡橋の建設やウラジオストク国際空港の改修を行うなど、大規模な開発が進められております。
2012年に完成した「金角湾黄金橋」です
ニコライ皇太子凱旋門1891年ニコライ皇太子(後のニコライ二世)が日本を訪問(大津事件あり)して、シベリア鉄道起工式のためウラジオストックを訪れた際に記念碑として建設されました。この凱旋門は1920年にソビエト政権により破壊されたが、ソ連崩壊により2002年に再建さ。れました。
by jopparit
| 2017-07-29 22:02
| 旅